ナジーム・ハメドVSケビン・ケリーを書いて、心の趣きを考える。

僕は、ボクシングに限らず格闘技という世界では、

いや、他のスポーツも含めて、
まずは、
それぞれの競技ルール内で必要とされる体力、
競技ルール内で必要とされる技術、
そして、その他に問われるのは、
心の趣きなのだと感じています。
負けん気、

意地、

根性と言われる心、
己と向き合い、自己分析にした心。
対戦相手の戦力・戦術を想定した策謀。
そういった局面に引きずり込んでいく心理面で操れるだけの、
ずる賢さ・狡猾さ。
心の趣きの方向性では、頭脳戦へと相手を誘い、
技量というものを覆す試合というものが、
時折見られるし、
そういう試合が、僕は好きだ。
個々の人間力をぶつけ合うのが格闘技の醍醐味だと思います。
スポーツマンシップに則ったものじゃないと競技の概念はなくなるという意見がある。
これは価値観の話だ。
ルールに則っていないと競技では無くなる、、、のか???

何度も書いてますが、プロの競技は潰し合いです。

戦闘です。

ルールに則っていない所のせめぎ合いがあるからこそ、僕は好きですね。

する事も、観る事も。
バスケットボールやフットサルは厳密にいうと、

フィジカルコンタクトは極力避けないといけないルール。

即ち、ファールです。

でも、試合を見たり経験したら分かりますけど、まぁーぶつかりますよね(~_~;)
ボクシングで、頭突きはいけないと。

でも、頭を付けあってクロスレンジで戦ってます。

反則のラインは曖昧です。

という事は、、、ジャッジ・レフェリーが止めなければセーフです。
あの反則があったから負けた、、、という。

気持ちは分かるが、僕からしたら、

「その卑怯な手を使おうと使うまいと、
負けた方は負けるべくして負けた。
この形が必然だったんだ。」


突き詰めて考えると、ここに辿り着いてしまうのです。
卑怯な手を使ってでも勝つのが正しいとは言わないけど、

間違っているなんて、絶対に言えません。
前に、引退した女子テニスプレイヤーの浅越しのぶさんも言ってました。

 

「トップでやってる人は皆んな、負けず嫌い選手権で勝ち抜いた人間ばかりですから」
「私はシングル最高21位でした。

トップ20位に入りたかった。

誰か一人、腕折れろ!って思ってました。笑」



これを聞いたときに、
やっぱりプロは、そういう世界だなと思いましたね。
ーーーーーーーーーー

あと、観戦している時の楽しさを書くと、
特殊能力で未来を察知し、

「本能」で見抜きポジションを先に取っていき、空間を支配する。
そして、相手を抜き去ってゴールへ近づく。

もしくは、死角からカウンターを決める。
この「本能」をどこで捉えていくのかも醍醐味ですよね。
でも、

「本能」、、、

「才能」、、、

というものは、

目に見える身体能力、

反射神経、

スピードにとらわれてしまいます。

僕もそう、なりがちです。
それは、「体技心」の順序だからだと思うのです。

やっぱり「心技体」より「体技心」の方がしっくりくるのです。

ただ、心を趣きを含めた総力を決する場面が必要とされる格闘技は、

やりようによって覆せます。

その

「心の趣き」

というものを何を持って捉えていくのか?

これが大事な見所です。

ナジーム・ハメドVSケビン・ケリーは、

「心の趣き」

をテーマに考えたりしました。

そんな思いです。

 

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