ヤスユキのマイクを僕なりに考える。

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ヤスユキのマイクを僕なりに考える。

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「キックボクサー・大月晴明を殺しました。

目標は何も無いんですけど、次は、そうですね。町田光!」

「キックボクサー・大月晴明を殺しました」

「次は、そうですね。町田光!」 
は、以前説明した感じだと思います。

大月晴明選手は、
配慮されても、褒めちぎられても惨めになるだけ。

だからこそ先を見据えた言葉を出すのが、本当の武士道なのではないだろうか…。



これが僕の考えだ。

あと、

「目標は、なんもないんですけど」、、、。


ここだ。
彼は、チャンスをずっと待っていたように思う。
一緒に時間を過ごした、想い出を消したくないのだろう。
町田光選手にインタビューを行う前に、ヤスユキ宅にて、僕に語った言葉。

「町田光の悠矢戦は、脱力とともに殺気も抜けてしまっていた。

僕と戦った時の町田光が最高だった。

あの時の殺気で、郷州選手を叩き潰してくれ、と伝えておいて下さい」

町田光に必要なはずの落としてしまった心の欠片(かけら)をヤスユキ選手が拾い集めたようだった。
ヤスユキは、町田光が探しているものが
“何か”
を分かっていたのだろう。
そして、二人の間が引き離される状況を危惧しているようにも見えた。

  
忍び寄る不安定な運命に逆らうように、
忍び寄る不安定な運命に目を背けないようにして、
手繰り寄せようとしていた。
二人の闘いは、表面上だけでなく、心の中も血を流していたのだろう。
それをもう一度、いや何度でも味わいたいのか。。。

正に、破滅への欲望…。

  

そこへ進む以外に選択肢がないのだ。
どこかでラジャやルンピニーという世界観を捨てたのか?

いや!捨てたのではなく、

ベルト・王者の称号より、誰と闘うのかに自分の価値観を見出したのだ。
タイトル云々の世界観をもし、どこかで彼が捨てたものだとしたら、
そこにまた引き返す道を選ぶ事はないのがヤスユキだ。
それが彼の価値観であり、美学なのだろう。
背負う事の辛さ、
背負う事の楽しさ、
背負う事の強み、
背負う事の弱み、
色々と、それぞれの価値観がある。
僕は、ヤスユキ選手の価値観を尊重したいと思っている。
そして町田光選手の価値観も尊重したいと思っている。
町田光は、本当に純粋な人間だ。
僕にしかできない事があると信じて、突き進んでいる。
何かに真剣に打ち込んでいると、

バカにされる事もあるだろう。
人は、生きるために保身を選ぼうとする。
そんな時に、周りにいる仲間・恩師や家族の人達に救われてきた。
何よりキックボクシング・空手・格闘技に、

心を救われてきた。
どれだけの人が認めてくれていたのか分からないが、

それが彼の枯れつつあった心に雫をたらし、

立ち上がっていったのだろう。
一滴ずつの水を大事に飲み込んで。
ヤスユキVS大月晴明を眺めて、町田光の目から涙を流していた。
枯れないように与えてくれた水が涙として溢れる。

救われてきた思いを受け止めて挑むスタイルが、悲壮感のある突進力に見える。
それがヤスユキという選手には魅惑的に思えるのだろう。

    
梅野源治選手は、

僕には悲壮感というより、

切迫感漂う感じにも見える。

それも、すごく魅力的だ。

ヤスユキ選手のマイクで発した

    「目標は、なんもないんですけど」

      は、

        「リングで心を通わせあい」

          だと思う。
          もし僕の解釈が違っていたら、その意味をヤスユキ選手本人がリングの上から発信していくだろう。
          町田光は、最高の首を捉え引っさげてヤスユキの前に立ちたいのだろう。
          辿り着けるのか。
          最高の首、、、何を選ぶ?

          最高の首、、、卜部功也。
            

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